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倉敷市で公務員として働きながら、パラアーチェリーの日本代表として世界に挑戦している選手がいます。
倉敷市出身の大江佑弥選手(38)です。
右半身にまひがある大江選手は、歯でタグを噛んで弓を引き、口を開くことで矢を放つ独自のスタイルで競技に挑んでいます。
10月18日に愛知県で開幕するアジアパラ競技大会にも日本代表として出場。自国開催の大舞台でメダル獲得を目指します。
昼は倉敷市の職員、仕事が終わればアスリート
大江選手は普段、倉敷市の職員として玉島支所で勤務しています。
窓口で申請手続きを行ったり、市民からの相談に対応したりするのが日々の仕事です。
そして仕事を終えると練習場へ向かいます。
弓の調整やセッティングも、すべて自分の左手で行います。
自分の体や射ち方に最も合うセッティングを見つけることも、競技の重要な部分だといいます。
一人ひとり違う「パラアーチェリー」の面白さ
大江選手が出場するのは「コンパウンド」という種目です。
弓に滑車が付いていることが特徴で、その仕組みを利用しながら狙いを定めて矢を放ちます。
パラアーチェリーでは、それぞれの選手が自身の身体の状態に合わせ、道具の重さや長さ、角度などを工夫します。
そのため、同じセッティングの選手はほとんどいません。
大江選手は、それぞれが自分に合った射ち方を見つけ、同じ舞台で競い合えることがパラアーチェリーの魅力だと話します。
高校時代は倉敷商業で野球部に所属
アーチェリーで求められるのは技術や体力だけではありません。
勝負を左右するのが集中力です。
大江選手は1日に約100本の矢を放ち、精度を高めています。
その集中力の原点となっているのが野球です。
中学校では軟式野球を経験し、高校では倉敷商業高校の野球部に所属。甲子園出場を目指して厳しい練習に励んでいました。
一球一球に集中する野球と、一射に集中するアーチェリーには共通する部分があると感じています。
20代で右半身にまひ
大江選手には生まれつき、脳の左視床に「海綿状血管腫」と呼ばれる血管の奇形がありました。
20代で3度の出血を経験し、3度目の出血によって右半身にまひが残りました。
それまで当たり前にできていたことが突然できなくなり、大きなショックを受けたといいます。
そんな中で大江選手を支えたのが家族でした。
当時、長女は1歳、長男は生後2カ月。
子供たちに、スポーツに挑戦する父親の姿を見せたいという思いが、新たな挑戦への原動力になりました。
1枚の写真から始まったパラアーチェリー
大江選手がパラアーチェリーを始めるきっかけとなったのは、インターネットで見つけた、口を使って弓を引く選手の写真でした。
しかし、競技を始めた当初は思うように的へ当てることができず、試行錯誤の連続だったといいます。
それでも「日本代表になりたい」という目標を持ち続けました。
自分に合った射ち方を探しながら練習を重ね、競技を始めて8年目にはパリパラリンピックの日本代表として世界の舞台に立ちました。
子供たちへ「自分の可能性を信じて」
大江選手は競技だけでなく、パラスポーツの普及にも力を入れています。
仕事と練習の合間を縫って、これまでに約70回の講演会に参加してきました。
倉敷市内の小学校では、小学5・6年生約150人を前に自身の経験を紹介。
今の自分だけを見て未来を決めるのではなく、うまくいかない時や失敗した時も自分の可能性を信じて挑戦することの大切さを伝えました。
講演後には、25メートル先にある風船をアーチェリーで射抜く実演も披露。子供たちから大きな歓声が上がりました。
アジアパラで目指す「メダル」
大江選手はパラ競技だけでなく、障害のない選手と同じ大会にも出場しています。
アジアパラ大会前の大きな大会では予選を1位で通過。決勝では風の影響もあり、わずか1点差で敗れて2位となりました。
優勝を逃した悔しさから、大江選手は「勝ち切る力」が必要だと新たな課題を見つけています。
公務員として地域の人たちを支えながら、日本代表として世界の舞台へ。
多くの人から受けた応援への感謝を胸に、大江選手はアジアパラ競技大会でのメダル獲得を目指します。
詳しい背景や追加情報については、参照元の記事もあわせてご確認ください。
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※この記事は、公開情報をもとにくらすまが読みやすく整理しています。(確認日:2026/10/02)