【瀬戸内市】ハンセン病療養所で外国人入所者への「二重の差別」 長島愛生園・邑久光明園に残る歴史と証言

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【瀬戸内市】ハンセン病療養所で外国人入所者への「二重の差別」 長島愛生園・邑久光明園に残る歴史と証言

※画像はイメージです

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岡山県瀬戸内市にある国立ハンセン病療養所「長島愛生園」と「邑久光明園」。かつて、この2つの療養所には多くの外国人入所者が暮らしていました。

その人たちが直面していたのは、ハンセン病に対する偏見だけではありません。外国人であることを理由とした差別も重なり、過酷な労働や生活上の困難を強いられた人たちがいました。

こうした「二重の差別」の実態を伝える企画展が、東京都の国立ハンセン病資料館で開かれています。

1996年の「らい予防法」廃止から30年となる2026年。これまで十分に語られてこなかった外国人入所者の歴史に、改めて光が当てられています。

ハンセン病への偏見と外国人差別が重なった歴史

ハンセン病は、らい菌による感染症です。現在は治療によって治る病気ですが、日本では長年にわたり、患者を社会から隔離する政策が続けられてきました。

その隔離政策のもとで、療養所に入所していた外国人たちは、さらに別の差別にも直面していました。

国立ハンセン病資料館の木村哲也学芸員によると、日本人入所者から外国人入所者に対して差別的な言葉が向けられることもあったといいます。

また、トイレのくみ取りやごみの回収など、ほかの人が敬遠する仕事を外国人入所者に担わせることもあったとされています。

中には、日本人入所者から軽く見られないようにと、火葬場での仕事など過酷な作業を自ら引き受けていた人もいました。

今回の企画展では、当時の証言や書籍、療養所で使われていた道具などを通じて、外国人入所者の暮らしや思いを紹介しています。

岡山の2つの療養所では外国人入所者が約1割

戦時中、日本の統治下にあった朝鮮半島から多くの人が日本に渡りました。

その中には、ハンセン病を発症し、日本人と同じように隔離政策の対象となった人たちもいました。

全国のハンセン病療養所の入所者が1万人を超えていた1960年代には、外国人入所者が700人以上いたという記録が残されています。

外国人入所者の出身地や経歴はさまざまで、インドネシアから留学中に発症した女性や、ロシア革命をきっかけに亡命した貴族の子孫もいたといいます。

特に瀬戸内市の長島愛生園と邑久光明園では、外国人入所者の割合が高く、全入所者の約1割を占めていました。

長島愛生園に残る「一朗道」 韓国人入所者が切り開いた道

長島愛生園には、外国人入所者の功績を今に伝える場所があります。

園内にある「一朗道(いちろうどう)」と呼ばれる道路です。

この道は、入所者が増えたことで新たな道路が必要になった際、韓国人入所者の具奉守(ク・ボンス)さんらが中心となって切り開いたものです。

具さんは当時、園内の土木部で主任を務め、道路の整備に尽力しました。

その功績をたたえ、当時の園長が記念碑を建てましたが、碑に刻まれたのは具さんの本名ではなく、日本名の「久保田一朗」でした。

現在も残る道路と記念碑は、外国人入所者が療養所の暮らしを支えていた歴史を伝えています。

差別の実態を語り続けた金泰九さん

長島愛生園には、外国人入所者の経験を後世に伝えようと活動した人もいました。

2016年に90歳で亡くなった金泰九(キム・テグ)さんです。

金さんは生前、ハンセン病に対する偏見だけでなく、言葉の違いによって外国人入所者が周囲との関係に苦しんでいたことを語っていました。

日本語を十分に話せない入所者は、ほかの入所者や職員との意思疎通が難しく、生活の中で孤立することもあったといいます。

実際に、外国人であることや言葉の問題から受け入れ先の部屋が見つからず、最初に収容された場所で長期間を過ごし、そのまま亡くなった人もいたとされています。

日本語を話せた金さんは、外国人入所者に日本語を教えるなど、仲間たちを支えました。

また、国の隔離政策の責任を問うハンセン病国家賠償請求訴訟では、外国人入所者も原告団に加わり、2001年の熊本地裁判決での勝訴につながりました。

金さんは、差別をなくすためには、まず事実を知ってもらうことが大切だと訴え続けました。

「らい予防法」廃止から30年 今も残る偏見

日本では1996年に「らい予防法」が廃止され、長年続いたハンセン病患者の隔離政策が法的に終わりました。

しかし、法律が廃止されたからといって、社会に根付いた偏見がすべてなくなったわけではありません。

国が2023年に実施したハンセン病に関する全国意識調査でも、偏見や差別が依然として残っている実態が明らかになりました。

国立ハンセン病資料館の木村学芸員は、これまで外国人入所者の経験が十分に受け止められてこなかったことを振り返り、外国人入所者の歴史を抜きにしてハンセン病問題を語ることはできないと指摘しています。

高齢化が進む中、次の世代へどう伝えるか

ハンセン病療養所では、入所者の高齢化が進んでいます。

当時の暮らしや差別の実態を直接語ることができる人は、年々少なくなっています。

長島愛生園や邑久光明園に残る記録、建物、道路、そして入所者たちの証言は、隔離政策と差別の歴史を伝える貴重な資料です。

ハンセン病への偏見と、外国人であることによる差別。その両方に苦しんだ人たちの経験を知ることは、現在の社会にある差別について考えることにもつながります。

過去の事実に目を向け、次の世代へどう伝えていくのか。私たち一人ひとりに問いかけられています。

詳しい背景や追加情報については、参照元の記事もあわせてご確認ください。

参照元

元記事はこちら(OHK岡山放送)

※この記事は、公開情報をもとにくらすまが読みやすく整理しています。(確認日:2026/10/20)

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