岡山はなぜ「桃太郎のまち」?|吉備津彦命と温羅伝説をたどる

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岡山はなぜ「桃太郎のまち」?|吉備津彦命と温羅伝説をたどる

岡山駅前の桃太郎像、きびだんご、桃太郎線など、岡山では「桃太郎」を見かけることが多くあります。

でも、

そもそも、なぜ岡山が「桃太郎のまち」といわれるのでしょうか?

その背景にあるのが、古代吉備に伝わる 「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」と 「温羅(うら)」の鬼退治伝説です。

今回は、岡山が桃太郎のまちといわれる理由を、古代吉備の歴史と伝説をたどりながら紹介します。

先に結論|岡山は「桃太郎伝説の舞台」とされる地域だからです

岡山には、吉備津彦命が鬼と呼ばれた温羅を退治したという伝説が古くから伝わっています。

この物語が、後世に語られる昔話「桃太郎」のモデルのひとつになったと考えられており、 岡山には今も鬼ノ城や吉備津神社など、伝説に関係する場所が数多く残っています。

そもそも「吉備」ってどんな国だった?

古代吉備の町と山々のイメージ

現在の岡山県周辺は、古代には「吉備(きび)」と呼ばれていました。

吉備は、現在の岡山県を中心に、広島県東部などにも広がっていたと考えられる大きな地域です。

当時の吉備には、現在の岡山市に残る造山古墳をはじめ、 巨大な古墳が数多く築かれました。

造山古墳は全長約350m。 5世紀初頭では全国最大級の前方後円墳であり、 当時の吉備に非常に大きな勢力があったことがうかがえます。

古代の吉備は、かなり大きな勢力だった
巨大古墳が残っていることからも、政治・経済・文化の面で重要な地域だったと考えられています。

そんな古代吉備を舞台に語り継がれてきたのが、 吉備津彦命と温羅による鬼退治の伝説です。

桃太郎のモデル?「吉備津彦命」とは

吉備津彦命のイメージ

岡山の桃太郎伝説で、鬼退治の英雄として登場するのが 吉備津彦命です。

伝説では、吉備で人々を苦しめていた温羅を討つため、 吉備津彦命が大和から派遣されたとされています。

吉備津彦命は現在、 岡山市にある吉備津神社や 吉備津彦神社などに祀られています。

吉備津彦命=桃太郎本人、という意味ではありません
岡山に伝わる吉備津彦命の鬼退治伝説が、後世の桃太郎物語の原型のひとつになったとされています。

「鬼を退治する英雄」という構図が、 昔話「桃太郎」と重なって見える大きな理由です。

鬼と呼ばれた「温羅」とは?

鬼ノ城と温羅のイメージ

吉備津彦命の相手として登場するのが、 温羅(うら)です。

伝説では、温羅は異国から吉備へやって来た人物とされ、 現在の総社市にある山に城を構えたと伝えられています。

それが現在の鬼ノ城(きのじょう)です。

温羅は、物資を奪ったり人々を苦しめたりしたため、 恐ろしい「鬼」として語られるようになったとされています。

ここは「歴史」と「伝説」を分けて考えたいところ

現在確認されている鬼ノ城は、約2.8kmの城壁を持つ古代山城で、 発掘調査などから7世紀後半に造られた可能性が高いと考えられています。

一方で、「温羅が住んでいた城」という部分は、地域に伝わる伝説です。

実在する古代山城と鬼の伝説が重なっているところが、 岡山の桃太郎伝説の面白いところでもあります。

吉備津彦命 VS 温羅 ― 鬼退治の物語

吉備津彦命と温羅の戦いのイメージ

伝説では、吉備津彦命は吉備の中山付近に陣を構え、 鬼ノ城にいる温羅と戦いました。

矢と岩が空中でぶつかった

吉備津彦命が矢を放つと、 温羅は岩を投げ返したといわれています。

放った矢と岩は空中でぶつかり、 なかなか温羅を倒すことができません。

そこで吉備津彦命が一度に二本の矢を放つと、 一本は岩とぶつかりましたが、 もう一本が温羅の目を射抜いたと伝えられています。

この伝説にちなんだ場所が今も残っています
岡山市にある「矢喰宮」は、吉備津彦命の矢と温羅の岩にまつわる伝説が残る場所です。

鯉になった温羅を、鵜になって追う

傷ついた温羅は逃げ、 やがて鯉の姿になって川へ身を隠したといいます。

すると吉備津彦命は鵜の姿となり、 鯉となった温羅を追いかけました。

この場面にまつわる場所として、 血吸川や 鯉喰神社などが現在も残っています。

昔話の中だけではなく、 実際の地名や神社として伝説の痕跡が残っているところに、 岡山の桃太郎伝説らしさがあります。

温羅の首と「鳴釜神事」

吉備津神社と鳴釜神事のイメージ

温羅の物語は、鬼退治が終わって終わりではありません。

伝説では、討ち取られた温羅の首を埋めても、 そのうなり声が長い間やまなかったといわれています。

そこで温羅の首を吉備津神社の御釜殿の下に埋めたところ、 温羅が吉備津彦命の夢の中に現れたと伝えられています。

そして、釜の鳴る音によって人々の吉凶を知らせるようになった―― という物語につながっていきます。

現在も続く「鳴釜神事」
吉備津神社では現在も、釜の鳴る音によって吉凶を占う「鳴釜神事」が伝えられています。

鬼として退治された温羅が、 最後には人々に吉凶を知らせる存在として語られているところも、 この伝説の興味深い部分です。

では、なぜ「桃太郎」になった?

古代吉備の鬼退治伝説から桃太郎へつながるイメージ

ここまで見てくると、 昔話「桃太郎」と共通する部分がいくつも見えてきます。

吉備津彦命と温羅の伝説に見られる共通点
・鬼を退治する英雄がいる
・鬼が住む場所がある
・「吉備」という土地が舞台になっている
・鬼退治にまつわる場所や伝承が各地に残っている

こうした吉備津彦命による温羅退治の伝説が、 岡山における桃太郎伝説の原型のひとつになったと考えられています。

ただし、 現在の昔話「桃太郎」が、そのまま温羅伝説から生まれたと断定できるわけではありません。

地域に伝わる鬼退治伝説と、 後世に広く語られるようになった桃太郎の物語が結びつき、 「岡山=桃太郎」というイメージが形成されていきました。

2018年には日本遺産に認定

岡山市・倉敷市・総社市・赤磐市に残る関連文化財をつないだ 「『桃太郎伝説』の生まれたまち おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~」が、 2018年に日本遺産に認定されました。

今も岡山に残る「桃太郎伝説」の舞台

岡山県内に残る桃太郎伝説ゆかりの場所のイメージ

吉備津神社

吉備津彦命を祀る神社。 温羅伝説と関係する御釜殿や矢置岩などが残っています。

吉備津彦神社

吉備津彦命を祀る備前国一宮。 境内には温羅を祀る温羅神社もあります。

鬼ノ城

総社市に残る古代山城。 伝説では、温羅の居城だったとされています。

矢喰宮

吉備津彦命が放った矢と、 温羅が投げた岩がぶつかったという伝説が残る場所です。

血吸川

吉備津彦命の矢で傷ついた温羅の血が流れたという伝説にちなむ川です。

鯉喰神社

鯉に姿を変えた温羅を、 鵜となった吉備津彦命が捕らえたという伝説が残っています。

桃太郎伝説を時系列で見てみよう

岡山県内に残る桃太郎伝説ゆかりの場所のイメージ
流れ 物語
① 古代の吉備に大きな勢力が存在する
② 温羅が吉備で人々を苦しめたと伝えられる
③ 吉備津彦命が温羅討伐のため吉備へ向かう
④ 吉備津彦命と温羅が戦う
⑤ 温羅が敗れ、吉備津彦命が鬼退治の英雄として語られる
⑥ 温羅の伝説が吉備津神社の鳴釜神事などに残る
⑦ 後世、鬼退治の物語が桃太郎伝説と結び付けられる
2018年 「桃太郎伝説の生まれたまち おかやま」が日本遺産に認定

知ってから見ると、岡山の「桃太郎」が少し違って見える

岡山に暮らしていると、 「桃太郎」はあまりにも身近な存在です。

岡山駅前の桃太郎像、 きびだんご、 桃太郎線。

でも、その背景をたどってみると、 そこには古代吉備という大きな勢力が存在した歴史と、 吉備津彦命と温羅の鬼退治伝説がありました。

鬼ノ城や吉備津神社を訪れるときも、 この物語を知っているだけで、 いつもの岡山の景色が少し違って見えるかもしれません。

岡山には、まだまだ身近な場所に 知られざる歴史が残っています。

くらすま「岡山・倉敷ヒストリー」
くらすまでは、岡山・倉敷の地名や町並み、昔の暮らし、伝説など、 身近な地域の「なぜ?」をたどる記事を紹介していきます。

※この記事は岡山市、日本遺産関連資料、岡山県観光公式サイト、吉備津神社・鬼ノ城などの公開情報を参考に、地域の歴史と伝説を分かりやすくまとめています。温羅や吉備津彦命に関する内容には伝承・伝説が含まれるため、歴史的事実と区別して紹介しています。

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