倉敷のお土産と聞いて、「むらすゞめ」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
薄く焼いた生地で粒あんを包んだ、倉敷を代表する銘菓です。
でも、少し不思議なのがその名前。
なぜ「むらすゞめ」という名前なのでしょうか?
雀の形をしたお菓子というわけでもありません。
実はこの名前には、かつての倉敷の暮らしや米づくり、豊作を願う踊りが深く関係しています。
今回は「むらすゞめ」という名前の由来から、明治時代の誕生、倉敷名物として親しまれるようになった歴史までたどります。
先に結論|「むらすゞめ」は豊年踊りの姿から生まれた
江戸時代の倉敷では、米の豊作を願い、イ草で編んだ笠をかぶって踊る「豊年踊り」が行われていたと伝えられています。
その踊る姿が、稲穂に群がる雀のように見えたことが「むらすゞめ」という名前につながりました。
お菓子の形は編み笠、黄金色の生地は実った稲穂を表現しているとされています。
目次
むらすゞめってどんなお菓子?
むらすゞめは、卵を使った薄いクレープ状の生地に粒あんをのせ、半月状に包んだ和菓子です。
表面には小さな気泡があり、ふんわりとした生地と粒あんの組み合わせが特徴です。
黄金色の生地は稲穂を、半月状に折った形は、かつて豊年踊りで使われた編み笠を表現しているとされています。
倉敷市民には昔から馴染みの深いお菓子で、現在では倉敷を代表するお土産の一つとして知られています。
むらすゞめが誕生したのは明治10年
むらすゞめが誕生したのは、1877年(明治10年)。
橘香堂の創業者・吉本代吉が、「倉敷に銘菓をつくりたい」という思いから考案しました。
江戸時代が終わってからまだ10年ほど。
倉敷も新しい時代へ移り変わり始めた頃です。
吉本代吉が橘香堂を創業し、倉敷の新しい名物として「むらすゞめ」を創製しました。
しかし、何もないところから突然このお菓子が生まれたわけではありません。
その発想のもとになったのが、倉敷に古くから伝わっていた豊作祈願の風習でした。
なぜ「むらすゞめ」という名前?
江戸時代の倉敷は、備中米の集散地として栄えていました。
人々の暮らしにとって、米が豊作になるかどうかは非常に大きな意味を持っていました。
そのため、お盆になるとイ草で編んだ笠をかぶり、豊作を願って「豊年踊り」を踊る風習があったと伝えられています。
大勢の人が笠をかぶって踊る様子。
それが遠くから見ると、実った稲穂に群がる雀のように見えたといいます。
このイメージから、倉敷の先覚者・林孚一(はやし ふいち)が「むらすゞめ」と名付けたとされています。
つまり、名前だけを見ると「雀のお菓子」のようですが、その背景には倉敷の稲作と豊作への願いが込められているのです。
むらすゞめの形が「編み笠」なのはなぜ?
むらすゞめを横から見ると、少し丸みを帯びた半月のような形をしています。
この形のモチーフになったのが、豊年踊りの際に人々がかぶっていたイ草製の編み笠です。
生地の色も偶然ではありません。
こんがりと焼いた黄金色の生地は、秋に実った稲穂をイメージしたものとされています。
色=黄金色の稲穂
名前=稲穂に群がる雀
一つのお菓子の中に、当時の倉敷の暮らしが表現されています。
倉敷の米とい草が生んだ銘菓
むらすゞめの由来を知ると、なぜこのお菓子が倉敷で生まれたのかが見えてきます。
江戸時代の倉敷は、備中米をはじめとした物資の集散地として発展しました。
現在の倉敷美観地区を流れる倉敷川も、かつては物資を運ぶ重要な水路でした。
そして周辺では、米だけでなくイ草なども生産されていました。
米づくり、豊作への願い、イ草の編み笠。
そうした倉敷の暮らしの中にあったものが、一つのお菓子の物語につながっています。
むらすゞめは、単に倉敷でつくられたというだけでなく、地域の歴史や暮らしをもとに生まれた銘菓といえます。
当時としては「ハイカラ」なお菓子だった
今では珍しくない卵や小麦粉を使った生地ですが、むらすゞめが誕生した明治初期には、少し事情が違いました。
当時の日本では餅菓子などが多く、小麦粉や卵を使ったお菓子はまだ珍しい存在でした。
そのため、薄いクレープ状の生地であんを包むむらすゞめは、当時の人にとって少し洋風で新しい、いわば「ハイカラなお菓子」として受け止められたとされています。
倉敷の昔ながらの豊年踊りをモチーフにしながら、材料や作り方には当時として新しい要素を取り入れていたところも、むらすゞめの面白さです。
「橘香堂」という名前にも由来がある
むらすゞめを生み出した老舗「橘香堂(きっこうどう)」。
実は、この店名も林孚一によって名付けられたと伝えられています。
「橘」には、日本の伝承で菓子の祖とされる橘にちなんだ意味合いがあります。
むらすゞめだけでなく、店の名前にもお菓子づくりへの思いが込められているのです。
現在も倉敷を代表する銘菓に
1877年の誕生から、2026年で149年。
むらすゞめは長い年月を経た現在も、倉敷を代表する銘菓として受け継がれています。
橘香堂では、熟練の職人が伝統的な製法を守りながら現在もむらすゞめを作っています。
倉敷駅周辺や美観地区などで購入できるため、観光客のお土産としても定番です。
現在「むらすゞめ」は橘香堂の登録商標となっています。
美観地区では「むらすゞめ」の手焼き体験も
倉敷美観地区にある橘香堂 美観地区店では、むらすゞめの手焼き体験も行われています。
自分で生地を焼き、粒あんをのせて包むことができ、通常サイズだけでなくジャンボサイズの体験もあります。
食べるだけでなく、実際に作ってみると「なぜこの形なのか」もより分かりやすく感じられそうです。
美観地区を散策しながら、昔の倉敷の暮らしから生まれた銘菓を実際に作って味わうのも面白い楽しみ方です。
むらすゞめの歴史を簡単に振り返る
| 時代 | 出来事 |
|---|---|
| 江戸時代 | 倉敷は備中米の集散地として栄える。豊作を願い、イ草の編み笠をかぶる豊年踊りが行われたと伝わる |
| 1877年 (明治10年) |
吉本代吉が「倉敷に銘菓を」と考え、むらすゞめを創製。橘香堂を創業 |
| 明治時代 | 林孚一が、稲穂に群がる雀のイメージから「むらすゞめ」と命名 |
| その後 | 倉敷を代表する銘菓として広く知られるようになる |
| 現在 | 伝統の製法が受け継がれ、美観地区では手焼き体験も楽しめる |
むらすゞめを知ると、昔の倉敷が見えてくる
普段何気なく食べている倉敷銘菓「むらすゞめ」。
その名前や形をたどってみると、江戸時代の米づくり、豊作を願う人々、イ草の編み笠、そして明治時代に新しい倉敷名物をつくろうとした人々の思いが見えてきます。
形は編み笠、色は黄金色の稲穂、そして名前は稲穂に群がる雀。
小さな一つのお菓子の中に、倉敷の歴史が詰まっている。
次にむらすゞめを食べるときは、そんな背景を思い出してみると、いつもとは少し違った味わい方ができるかもしれません。
※この記事は橘香堂公式サイト、倉敷観光WEB、岡山観光WEBなどの公開情報をもとに、むらすゞめの歴史や由来をわかりやすくまとめています。