「花火みたいにきれいだった」音のない岡山空襲 91歳ろう者が語る戦争の記憶

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2026年で戦後81年を迎えました。戦争体験者が年々少なくなる中、これまで十分に記録されてこなかった「ろう者の戦争体験」に目を向ける動きがあります。

岡山空襲を10歳で経験した高梁市の小野晶子さん(91)も、その一人です。

「聞こえないので怖いと思わなかった」

小野さんは生後10カ月の時に中耳炎で聴力を失い、1945年6月29日未明、岡山市の自宅で岡山空襲を経験しました。

当時10歳だった小野さんの目に映ったのは、次々と夜空から落ちてくる焼夷弾でした。

音が聞こえない小野さんには、それが「花火みたいにとてもきれい」に見えたといいます。

周囲の人たちが恐怖から耳をふさいでいても、何が起きているのか十分に理解できず、外をのぞいていました。

翌朝、初めて知った空襲の恐ろしさ

岡山空襲では、アメリカ軍の爆撃機が岡山市中心部に約9万5000発の焼夷弾を投下。市街地の約6割が焼失し、少なくとも1737人が命を落としました。

空襲警報も爆撃音も、人々の叫び声も聞こえない――。

小野さんがその恐ろしさを実感したのは、夜が明けてからでした。

焼けた街には亡くなった人たちの姿があり、そこで初めて、自分のすぐ近くまで命の危険が迫っていたことを知ったといいます。

「石を投げる」「棒でつつく」が避難の合図

当時、小野さんは岡山市内にあった盲唖学校に通っていました。

学校では空襲に備えた避難訓練も行われていましたが、音による合図を受け取ることができません。

そのため、外では先生が石を投げ、それが体に当たったら避難。教室では棒でつついて避難を知らせていたといいます。

戦時中、情報を十分に得ることが難しかったろう者にとって、「危険が迫っていることをどう知るか」そのものが大きな問題でした。

なぜ「障がい者の戦争体験」は残らなかったのか

聴覚障がいのある人たちが戦争をどのように経験したのか。その記録は多く残されていません。

ろう者や難聴者について研究する筑波技術大学の大杉豊教授は、その背景について「戦争を体験した人の中にろう者がいるという意識がなかった」と指摘します。

そして、こうした記録は過去を知るだけのものではありません。

災害などが起きた際、周囲の人が避難していても何が起きているのか分からない、必要な情報をすぐに得られないといった問題は、現代にもつながっています。

戦後81年、埋もれてきた記憶を次の世代へ

小野さんは現在も、テレビで戦争の映像を見ると当時の記憶がよみがえり、苦しくなるといいます。

そして願うのは、「世界のみんなが一緒に仲良く暮らせたら」ということです。

戦争体験者が少なくなる中、これまで十分に語られてこなかった人たちの記憶も含めて残していくことが、戦争を多面的に知ることにつながります。

聞こえる人とは異なる「音のない空襲」の記憶も、次の世代へ受け継いでいくべき大切な戦争の記録です。

 詳しい背景や追加情報については、参照元の記事もあわせてご確認ください。

参照元

元記事はこちら(OHK岡山放送)

※この記事は、公開情報をもとにくらすまが読みやすく整理しています。(確認日:2026/08/14)

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